オ夕工ノレ☆ブログ III

オタクOL、略してオ夕工ルのブログです。

「嫌い」に理由は必要か

「好きに理由はいらない」って本当か

ほら、よく「好きに理由はいらない」って言うじゃないですか。

でも、それって本当なの? って思うわけ。

わたし自身はどちらかといえば好きなものについて長々語って布教したがる典型的なオタクなので、おおよその好きなことに理由やきっかけがある。

自分がそういうタイプなため、何かに興味を引かれたり何かを好きになったりと感情が大きく動いたとき、そこに理由がないわけがないと考えている。

「かっこいい」「顔が好み」といった外見的な感想だって理由になるし、「たまに暴力を振るうけど、本当はとても優しい人なの!」というのだってまぁ好きな理由になると思うので、理由もなく好きになるなんてことあるの? と不思議に思う。

「好きに理由なんてない」と言っている人は、好きな理由を上手く言語化できないか、好きになったきっかけを思い出せないだけではないだろうか。

ちなみに、わたしがA.B.C-Zを好きになったきっかけは、たまたま『ABChanZoo』のクイズサバイバル企画を見てあまりの頭の悪さに「こんなにバカな人たち、わたしが応援してあげないと芸能界で生き残れない…!」という謎の母性本能(?)が発揮されたせいです。

A.B.C-Zに出会わなかったら売れないホストとかにハマって貢いでいたかもしれないので、A.B.C-Zには本当に感謝している

「嫌い」には理由があるのか

「好き」に理由はいらないというのに、「嫌い」には何かしら理由を付ける人が多い。

ただ、「嫌い」の理由として、クラスメイトや同僚だったら「気が合わない」「マウントとってくる」「仕事ができない」「息がくさい」など具体的なものがあがってくるだろうが、有名人に対するものになると途端に「生理的にムリ」「目が笑っていない」といった曖昧なものが増えるように思う。

たとえば、ゴキブリが嫌いな人が「生理的にムリ」というならば、生物としてのジャンルが自分たちと違うから理解しがたい・受け入れがたいんだろうというのは分かるが、同じヒト科ヒト属ホモ・サピエンス・サピエンスである生物に対して「生命現象の機能的にムリ」ってどういうことだ。

と思ったら、「生理的に」って生理学とは関係なく「理屈ではなく本能で」みたいな意味合いなんですね。それでも納得できないけど。

そして、「目が笑っていない」だが、目が笑っていないのはそんなにいけないことだろうか。

わたしは接客業なので仕事中はオールウェイズ作り笑いだが、元来表情が豊かな方ではないので多分目は笑っていない。でも、機嫌悪そうに見られるよりは死んだ魚のような目をしていても口角が上がっている方がマシだと思っている。

タレントの皆さんも無表情でいたら「感じ悪い」などと叩かれ、笑ったら笑ったで「目が笑っていない」と嫌われたら解決策がなくなってしまうので、顔が笑ってるなら目が笑っていないことは許してあげてほしい。

あと、個人的にガッキーこと新垣結衣は目が笑っていないと思うが、かわいくて好きなので、「目が笑っていない」=嫌いとは必ずしもならないと思う。

おそらく理由もなく「嫌い」っていうと嫌う方が悪いと思われるから、好きに理由が無いのと同様に、理由を上手く言語化できない・きっかけを思い出せない人がどうにか考え出した言い訳なんだろう。 

わたしの嫌いなこと

わたしは食べ物の好き嫌いがなく、朝からカツ丼食べるのもありだし夜ご飯がおかゆと梅干でもかまわないくらい食事に対するこだわりがない。

と自分では思っているのだが、人と話していて「もしかしたら食事に対するこだわり強いのかもしれない」と感じることがある。

それは、白いご飯の食べ方についてだ。

皆さん、ケンドー・コバヤシ出演の『餃子の王将』のCMをご存知だろうか。

ムービーギャラリー | 餃子の王将

このページの「現在放送中のCM」の左上にある『レッツワンバン篇』。

わたしはこのCMが嫌いで、何故なら、この「ワンバンさすとめっちゃうまい」というのが理解できないからだ。

何なの、ワンバンて。

白飯なんだから白いまま食え。

というと、「じゃあカレーや混ぜご飯や丼ものはどうなんだ」と思われるかもしれないが、カレーや混ぜご飯や丼ものは最初からご飯に混ぜたり乗せたりするもので、白いご飯として食べることを想定しないからべつに構わない。

わたしは味の付いたご飯がイヤなのではなく、白いご飯とおかずとして用意されているのに白いご飯を汚されるのがイヤなのだ。

タレだけつけて食べるくらいなら、餃子ごとご飯を食べて欲しい。

おかずと一緒には食べないけどご飯に味を付けたいというのなら、ふりかけとか塩でも振って食ってろ。

この主張を人に話して理解してもらったことはなく、唯一の同士は「ご飯とパンツは純白なほど良い」とテレビで発言していた有吉弘行である。有吉のこと好きでも嫌いでもなかったけど、この発言を聞いて以来好感度がめっちゃ上がった。

そんなわたしなので、ジャニオタではあるものの、TOKIO国分太一が苦手だ。

なぜなら、今はどうか分からないがパートナーがケンタロウの頃の『男子ごはん』で、味の濃いガッツリ系おかずをご飯に少しだけ乗せて食べるというのをよくやっていたのだ。

その食べ方をわたしは『太一スタイル』と呼んで忌み嫌っていて、最近は世間の風潮も考慮して「タレだけ残すのでなく、おかずも一緒に食べるのならオッケー」と譲歩しているが(なので、餃子丼にしなくても許す)、それでもなお太一スタイルへの苦手意識が強い。結果、国分太一に対しても苦手意識がある。

国分太一を「目が笑っていないから嫌い」「本当は冷たい人だと思う」みたいなよく分からない理由で嫌うネットの声を目にしたことがあるが、きっとその人たちは『男子ごはん』で太一スタイルを見掛けて以来嫌いになったけどその理由を忘れてしまったんだと思う。

全国の同士よ、思い出して!そしてわたしに共感して!

ただ、もし心底「目が笑っていないから嫌い」と思っているなら、申し訳ないが理解できない。白飯にタレつけて食べるくらい理解できない。