オ夕工ノレ☆ブログ III

オタクOL、略してオ夕工ルのブログです。

3月4日(1919年とバウムクーヘン)

バウムクーヘンの日

1919年広島で開催された「ドイツ作品展示会」で、日本国内で初めてバウムクーヘンが製造・販売された日だそうだ。

そんな日本初のバウムクーヘンを作ったのはドイツ人捕虜のカール・ユーハイムで、彼の創業した製菓会社ユーハイムが2010年に制定した記念日である。

木の年輪の様に生地を重ねて焼いていくバウムクーヘン、ドイツ語で木のお菓子だが、名称の素朴なイメージに反して近年おしゃれ化・高級化が進んでいる。

もちろん日本のバウムクーヘンの元祖・ユーハイムも美味しいし、今や定番のクラブハリエも好きだが、わたしは治一郎がいちばん好きだ。

治一郎のバウムクーヘン | 商品のご案内 | 治一郎のバウムクーヘン | 治一郎ブランドサイト

しっかりした存在感がありつつも、ふんわり軽やかな食感でいくらでも食べられちゃうくらい美味しい。

外側の砂糖のコーティングがしゃりしゃりしてるのもいい。

こんなに美味しい食べ物を100年前の日本にもたらしてくれたユーハイムさんには感謝しかない。

ところで、ユーハイムさんは前述の通り捕虜として日本に来たのだが、それは、この頃の日本は第一次世界大戦に参加していてドイツと敵対していたからだ。

バウムクーヘンが生まれた1919年、他にもわたしにとって忘れられない出来事があった。

それは、ヴェルサイユ条約締結である。

第一次世界大戦ヴェルサイユ条約

第一次世界大戦オーストリア=ハンガリー帝国皇位継承者、フランツ・フェルディナント大公がサラエボで暗殺されたことがきっかけになり勃発、連合国軍と中央同盟国軍のふたつに分かれて全世界で7千万人以上の軍人を動員することになった、人類史上最も大規模な戦争のうちのひとつである。

この戦争の結果、国の勢力図に変化が現れ、敗れた同盟国軍のドイツ帝国オーストリア=ハンガリー帝国オスマン帝国は滅亡した。

また、戦勝国であるロシアでもなぜか帝政が崩壊し、後にソビエト連邦が誕生することになる。

そして、第一次世界大戦終結後の1919年6月に連合国とドイツの間で締結された講和条約ヴェルサイユ条約である。

わたしがヴェルサイユ条約について初めて学んだ中学生の頃、通っていた塾の社会科講師がこう言っていた。

ヴェルサイユ条約の覚え方は、行く行く(1919)ホテルはベルサイユだ!」

と。

まぁ確かに田舎の国道沿いとかにそういう名前のお城みたいな宿泊施設ありそうだけど、中学生に対する教え方としてどうなのかというのもあるし、そもそも年と「ベルサイユ」の単語しか入っていなくてヴェルサイユ条約の内容についてまったく触れていない。

そんな語呂合わせでいいのか、と講義の直後は疑問に感じていた。

しかし、長い年月を経た今でも「1919年、第一次世界大戦における講和条約国際連盟の発足、ドイツの植民地放棄の規定など」など断片的ではあるがうっすらと記憶に残っているので、あの塾の先生の方針は間違っていなかったのかもしれない。

ありがとう、A先生。

あと、元寇の覚え方「胃にナヨナヨ(1274)、吐い(1281)てスッキリ」も忘れられない。