オ夕工ノレ☆ブログ III

オタクOL、略してオ夕工ルのブログです。

アイドルと愛

『ジョーダンバットが鳴っている 2』最終回

戸塚祥太エッセイ『ジョーダンバットが鳴っている』の書籍化を記念して、1年間限定で雑誌ダ・ヴィンチで連載していた『ジョーダンバットが鳴っている 2』。

2019年2月号(1月5日発売)をもって最終回を迎えた。

その瞬間のとっつーの心情が赤裸々に綴られていて、感受性の豊かさに感心したり、そんなことまで書いちゃうの⁈という率直さに驚かされたり、一年間大変楽しませてもらった。

最終回ではとっつーが愛を叫ぶ理由について語られていて、最近いろいろ言われることも多いけれどジャニーさんもジャニーズの諸先輩方も愛すべき存在であり、また、A.B.C-Zをたくさんの愛で導いてくれた存在なのだと感じられる良い最終回だった。

未読の方、是非ご一読ください。

ただ、とっつーが『愛』を意識するようになったきっかけのひとつである、「愛を知ると書いて愛知県」の存在。

『ONEー愛になりたいー』(作・宮川匡代)か!とツッコみたくなったが、世代と性別からしてとっつーは読者じゃないよね。わたしもリアルタイム読者じゃないが。

そんなこと言ったら、高さを知るのは高知で群馬は群れる馬で山が富むのが富山のはずだけど、なぜか愛知ばかりがピックアップされる。

こうなったら、愛知県民の皆さんには選ばれし民として是非とも愛を伝える活動に励んでいただきたい。

そしてもうひとつ気になったのは、あるエピソードで渋谷すばるくんっぽさを匂わせるものの「ある先輩」と濁して名前を出さないところ。

事務所を退所したからかとは思うが、以前ラジオ『今夜はJ's倶楽部』で好きなジャニーズ曲を紹介していた時に関ジャニ∞の曲を流したはっしー「兄貴みたいに仲良くしてる先輩にカラオケで歌ってもらってる」的なコメントしていて、「まだ退所してないのに(2018年12月以前の放送)すばるくんの名前出せないんだ!」と驚いた覚えがある。

しかし、すでに退所済みの今井翼くんのカウコン出演について話すのはOKっぽい。

ジャニーズの基準が分からない。

昨年6月のLBT神奈川県民ホール公演で

ふみきゅん「この会場でコンサートしたことあるジャニーズ、誰かいる?」

詳しいヲタ「SMAP! 山P! 仁くん!」

ふみきゅん「じんくん? ああ赤西くんね」

会場中のヲタ「ファァアァァ‼︎」

みたいな対話があったが、あれは収録や取材のカメラが入っていないからOKだったのか、赤西くんは名前出してもOKな人なのか、どっちなんだろう。何となく前者な気がする。

 

『ジョーダンバット』は終わったが、またどこかでとっつーの文章を読む機会があったら嬉しい。できればジャニーズweb以外の媒体で

愛について

ところで、アイドルにとって愛とは何だろうか。

ファンに向かって愛を叫びながら、プライベートでは恋人に愛を囁いているかもしれない。

それを矛盾と思う人は担降りしたり、恋人と思われるSNSアカウントに突撃して炎上したりする。

ファンとしての在り方は人それぞれだから、その考え方を否定するわけではない。恋するようにアイドルを応援する、ということが間違いだとは言い切れないとは思う。

いやまぁ、担降りはともかく突撃はやめておいた方がいいと思うけど。

人それぞれではあるが、ファンからの愛は基本エロスだが、アイドルからファンへの愛はアガペーなのではないだろうか。

エロスとは求める愛であり、アガペーは無償の愛。

ファンからすると「こんなに応援してるんだから」「ファンクラブ入ってるんだから」「CDたくさん買ってるんだから」、もっとテレビに出てほしい・イベントしてほしい・ファンサしてほしい…と、愛に見合うだけの見返りを求めてしまう。

中には、その見返りがガチ恋というファンもいるだろう。

しかし、アイドルからの愛はそうではない。

大人しいファンにも過激なファンにも変わりなく平等に降り注ぐ太陽の光のように、コンサートで歌や踊りで楽しませたりドラマや映画に出演して喜ばせる「活躍」こそがアイドルの愛の根源であり、握手やハイタッチ、ファンサといったものはその付随品に過ぎない。

ファンからの働きかけは関係なくアイドルから一方的に与えられるものである点、また、アイドルがファンから直接的に利益を得るわけではない点において、神の愛といわれるアガペーと同種であると思う。

投票制アイドルではまた違うだろうが、まぁどちらにしてもファンより事務所に推された方が利益ありそうだし。

ファンはお金を落としているから厳密に言ったら無償の愛じゃないかもしれないが、宗教にだって寄付とかお布施とかあるから似たようなもんだろう。

何が言いたいかというと、ファンからの愛とアイドルからの愛は別種のもので一方通行だから、お互いに届いていても交わっているわけではない、ということだ。

だから、アイドルとしてファンに「愛してるよ!」とか言うのは神が民へ授けるアガペーであり、個人として女子アナやモデルと付き合っても別に嘘をついたわけではないしファンを裏切ったわけでもないのだ。それとこれとは愛のジャンルが違うから。

ただ、私物をSNSに上げたら実はお揃いだったくらいはいいけど、唐突にツアーグッズが映り込んだり、名前は書かなくてもファンには分かるような書き方で詳細なエピソード書いたりする匂わせはやめといた方がいい。後で恥ずかしくなると思う。

「本当のファン」

最近の芸能人のスキャンダルでしばしば耳にする「本当のファン」という言葉。

不祥事が報じられた歌手をかばったり、疑惑があるアイドルを「信じてるよ!」と応援するファンを、「それは本当のファンではない」と非難する声がある。

ファンでも何でもない人間からしたら、

「クズ要素フルコンボ!!」

「信じる材料少なすぎ!」

と感じるし、その行動を諌めるのは当たり前だと思うだろう。

確かに、親や友達だったら

「芸能界を辞めて、しっかり償いなさい」

とか

「信じてもらえるように行動していくのが大事だよ」

と言ってあげた方がいい。

でも、ファンは親でも友達でもない。

普段はアイドルからのアガペー待ちでたまにファンサをもらうくらい、それでも好きだからお金を出して応援してるのに何か起こった時「本当のファンはこうすべき」と決めつけられてしまうなんて、まったく浮かばれない趣味ではないか。何の修行だ。

そのアイドルの人生に何の責任もない、仮に責任を持ちたくても持てない立場なんだから、感想くらい自由に持たせてほしい。

ただ、あまりに変なことをすると「◯◯ファンはおかしい」と言われて人格を疑われるし、そんなファンを持つアイドル自身にも悪評が立つから節度ある行動は必要だとは思う。

幸いA.B.C-Zやふぉ〜ゆ〜に非道な行いや法に触れる行為を報じられたメンバーはいないので非難されたことはないが、たまにわたしは『本当のファン』とは言えないのではないかと思うことがある。

というのも、年1枚はアルバムを出してコンサートとえび座をやって今後もA.B.C-Zとして活動を継続してくれたらそれでいいし、各自が舞台に出演して年に数回ふぉ〜ゆ〜として主演舞台があれば満足で、もう少しテレビに出てくれたら嬉しいけど大きな不満はない。

人気を上げるためにこうすべき、とか、こういうところがダメだ、みたいな意見を一切持っていないので、「現状を受け入れるだけなのは本当のファンではない」と言われたら否定できない。

多分、塚ちゃんがモラハラ野郎とか五関さんがヒモ野郎という報道が出ても、「塚ちゃんのこと信じるよ!」とか言ってしまう気がする。五関さんがヒモだったとしたら、なんか納得してしまうかもしれないが。

ふぉ〜ゆ〜とファンの愛

以前ふぉ〜ゆ〜が『アウトデラックス』に出演した時、確かミラクルひかるさんが

「若いジャニーズは応援しにくいけど純烈を応援するほどには振り切れない人たちにちょうどいい、今の時代にちょうどいいグループ」

というようなことを言っていた。

この度の純烈騒動で

「まさか、これはふぉ〜ゆ〜にファンが流れる前フリ⁈」

などと一瞬思ったが、もちろんそんなことはなかった。

ふぉ〜ゆ〜のふの字も出ないし、そもそもファン層が全然違うし、仮にファン層がかぶっていたとしても、純烈の皆さんには4人体制でこれからも頑張っていってもらいたい。

ところで「ファンの愛はエロス、求める愛」と書いたが、ファンはふぉ〜ゆ〜のことを友達だと思っていると昔CBCラジオ『ナガオカスクランブル』で言っていたから、ふぉ〜ゆ〜ファンの愛はフィリア、友愛なのかもしれない。

いや、それはどっちでもいいか。